尾張名所図会をみると、南から総門、観音堂、楼門趾、元三大師堂、開山堂、山王社、本堂(趾)、潅頂堂(趾)、等が描かれている。
600年程前の南北朝時代の寺運の盛んな当時の伽藍群とくらべると、規模が小さくなっており、寺域も狭まっている。
中世の建物は多宝塔だけである。
なお、元三大師堂の頭貫(かしらぬき)も中世のものである。
総門や庫裡(くり)は江戸時代の建造ながらすぐれたものである。
多くの塔頭(たっちゅう)(本寺密蔵院に属する子寺)も失われている。
[昭和53年11月 春日井市教育委員会]