インタビュー
秋野 比叡山を総本山とする天台宗中本寺格の尾張密蔵院さんを訪ねました。 長い伝統に培われた由緒あるお寺だと伺っていますが、院主はどのような御縁で御住職になられたのですか。
田村 私は在家より仏の道に入りました。三十九歳で出家しましたが、そのきっかけは「仏様の導き」と言えます。 それまでの三十八年間の人生は神や仏とはまったく関係のない現実を生きていました。 三十八歳の時、仕事上で自分の力の限界にぶつかり、その問題を乗り越えるために各方面の色々な人に会いました。 その中で生涯の師匠となる叡南俊照師に出会えました。 比叡山千日回峰行をされている無道寺へ幾度かお手伝いに登りました。 小さな悩みは下山のたびに解消しました。しかし、根本は解決しません…。 「この世に神、仏があるなら、何とかしろ」、神仏に生れて初めて喧嘩を売ったようです。 突然のことでした。「(願いを)聞いてくれたら、この身を好きなように…、任せる」と誓願したようです。 その夜、夢の中でお釈迦様と白衣観音様の元に吸い込まれるように導かれ、お釈迦様が言います。 「おまえの思うように生きたらいい。ただ、性根を間違えれば…」と地球上の世界を白雲の隙間から観せられました。 次の日、突然誓願は成就します。 平穏な日々が続こうとしている矢先(人間とは勝手で、祈りが成就すると己の力のように思い、神仏へ約束事など忘れてしまうもののようです)、師匠より三度目の電話があり「今すぐ寺へ登って来い」と。 未熟な私への導きと、仏様への誓願としての師匠との仏縁を頂き、三十九歳の小僧生活が始まりました。 そして当院再建の縁を十八年目にお預りしています。
秋野 今日に至るまで波乱万丈の人生を送ってこられたのですね。 それにしてもこちらは広々とした境内で伝統を感じます。
田村 江戸時代には名古屋城の三の丸にあった尊寿院ともかかわりがあったそうです。 正しくは医王山薬師寺と称し、後伏見院の病気を祈願平癒したことから密蔵院の院宣を下賜され、専ら尾張密蔵院と称するに至っています。 開山は鎌倉時代の嘉暦(かりゃく)三年(1328年)、慈妙上人により行われました。 戦国時代末期には衰退したものの、一時は全国に700余の末寺を持ち、3,000人を超える修行僧がいたと言われています。 その名残を受け、伝法灌頂を受ける道場となっており、現在も四年に一度、全国から僧侶が集まって修行します。
秋野 多宝塔の佇まいも重みを感じます。
田村 室町時代初期に建立され、円形の胴体の上に正方形の屋根、胴体の回りに裳階(もこし)を付けた、禅宗の様式を取り入れた珍しいもので、国指定の重要文化財です。 このように天台の密教と臨済の禅が一緒になった寺は全国でも珍しいと聞いています。 季節によってライトアップの演出もしますが、その姿は更に幻想的です。
秋野 ところで、院主は地域活動にも積極的に貢献されているそうですね。 どのような取り組みを行なっておられるのですか。
田村 昔から寺は村人達の相談の場所です。 その意思を受け継ぎ、山門を開放して地域の方々の悩みや、喜びや、苦しみを共有し、気軽にお茶でも飲みに起し頂きたいと思っています。 今の日本はコミュニケーション(心くばり)が不足していると感じることが多々あります。 自然(人も一部)と話すことで自分自身の中にある仏(やさしさ)に会うことができ、心が明るくなり、人生での損得の縛りから解放され、他人の利を先にできるようになるのです。 当院が僧侶の修行の場だけに留まらず、世界中の皆様が癒しの修行を行なえる場所になることを望んでいます。
秋野 今は悩み事があっても、どこで誰に相談してよいかさえも分らない人が多いと思いますから、今後はお寺がそうした役割を取り戻していくことが重要かも知れませんね。
田村 近日では春日井市老人クラブ連合会や警察署、認知症介護センター、町内会などで講演をさせて頂いています。 また、未だに被害が多発している振り込め詐欺についても気軽にご相談頂けるよう、春日井警察署と連携して活動をしています。 こうした詐欺事件は気を付けようと思っていても、いざ自分の身に降りかかると冷静さを失い、その判断を間違ってしまうものです。 ですから一つの手段として、「不審な電話には直接出ずに留守番電話に対応させて、後で内容を聞くように」といったアドバイスをしています。 落ち着いて内容を聞けば冷静な判断ができ、家族や知人に相談できますから。 そうしたことへの相談相手としてもお役に立ちたいと思っています。
秋野 由緒正しい格式のあるお寺という側面と同時に、地域の皆様に開かれた親しみがありますね。 さて、今後については。
田村 これまで世の中は長い年月を掛けて物質、技術に重きを置いて進歩を遂げてきましたが、これからは日本文化の心くばりと祈りを取り戻す心の時代であり、ますます伝教大師の亡己利他の教えが重要になっていきます。 故に私どもが生活の中で皆様のお役に立てるよう活動の輪を広げます。
秋野 新たな感覚も取り入れたご活躍を大いに期待しています。
国際グラフ 2009年2月号